Google検索の特徴と学術団体によるキュレーションの比較・考察
先日、『自宅カフェ』で上位表示されたいと書いてみたが、そこで考えたことが思いもよらない仮説をもたらしてくれた。
それは「もしかすると、検索の結果に求められるのは専門的な正確性だけではなく、何処にもなくても調べた人の気分を良くしてくれたり、納得感を得られるものだったりするのかもしれない。」という仮説だ。
そうだとすれば、大学で学ぶ論文の書き方の様に、難解でも正確な言葉と引用元からのデータで説得力を持たす事だけがインターネットに文章を書くアプローチの仕方ではない、ということになる。
万人にとって納得できる結果を表示するGoogleの検索結果と、学術的な知見のある人が集まって「これ良いね!」したものが違う可能性がある。そういう、学術的に価値のあるものをインターネットで検索・表示・評価する仕組みがあまりできてないということかもしれない。
以前、インターネット会社のDeNAが『welq』という医療系のブログを公開していたところ、学術的に不正確な内容が多く指摘され公開を取り止めるという事件があった。これについて、ゲーム会社は儲けるためにエゲツないという印象を持っていたが、もしかすると、これはGoogle検索での限界を示していたのかも知れない。つまり、検索上位表示と学術的な正確性は両立しづらいかも知れないということ。
恐らく、学術的な正確さは、Google検索では考慮されていないと思う。もっと客観的な、統計データがアルゴリズムに反映されていて、それが、客観的で利用者の要望に答えていて良い面もあるが、時に不正確な情報を含むという悪い面もあるということだろう。
もし僕がGoogleの技術者であれば、情報の客観性や学術的な価値を評価するAIを考えるが、そうでなければ、学術団体に対してもっと真面目にインターネットコンテンツを拡充するよう訴えるだろう。
インターネットの『知識』の蓄積は道半ば、のようだ。
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